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コーヒーの歴史

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 コーヒーとは、コーヒーノキ(コーヒーの木のこと。学術名ではカタカナ表記になります)からとれる果実の種を焙煎し、粉状に粉砕したものに、お湯(又は水)をかけて、その成分を抽出した飲み物のことです。コーヒーはいつから飲まれているのでしょうか、その歴史をひも解いてみました。

最初は医療に用いられていた

 コーヒーの歴史は、西暦900年まで遡ります。初めてコーヒーが記録として登場したときは、薬として扱われていました。西暦900年頃に、アラビア人医学者のラーゼスは、野生のコーヒー豆を煮だした汁を患者に飲ませ、治療に使っていたそうです。曰く、消化、強心、利尿効果があるということで、用いられていました。
 その後、1000年頃にも、イスラム教徒の哲学者兼医学者、アビセンナも薬として扱っている旨を文献に残しています。
 このような背景があるからか、コーヒーは単なる飲み物ではなく、「健康にいい」という考え方がついているようです。

コーヒーの伝播

 コーヒーの原産地は定かではありませんが、一説によるとエチオピアと言われています。これは、コーヒー豆の種類の、アラビカ種の原産地である、エチオピアのアビシニア高原(エチオピア高原)に住むオロモ人が古くから用いていた、とされているからです。

 1400年代後半には、エチオピアからアラビアのイエメン地方に、コーヒーノキが移植されました。イスラム教は、経典のコーランで、飲酒が禁じられていることも手伝い、コーヒーは飲み物として、メッカやメディナで爆発的に流行しました。

 1500年に入ると、コーヒーは様々な地域に伝えられます。
 イエメンからセイロン(スリランカ)に伝わったり、カイロ(エジプト)に伝わったり、イスタンブール(トルコ)に伝わったりしました。
 そんな中、1511年には、熱狂的なコーヒー飲用者に対し、コーランの教えに背くという理由で、コーヒーの飲用を禁止する命令が出されました(コーヒー弾圧事件=メッカ事件)。こうした弾圧など、数十年にわたる論争の末、コーヒーの飲用が認められるようになっていきました。

 1550年頃には、トルコのコンスタンティノープルにおいて、世界最初のコーヒーハウスが開店しました。コーヒーハウスはトルコ語で、「カフヴェハーネ(コーヒーの家)」といいます。つまり、世界最初のコーヒーの飲める喫茶店です。

 1500年代後半には、飲み物としてのコーヒーの解説書が登場します。
 そして、1600年初頭には、アメリカやイタリア、オランダに伝わりました。その後、フランス、イギリス、ドイツ、インドにも伝わり、世界的に広まっていったのです。

ボストン茶会事件とコーヒー

 1773年、ボストン茶会事件が起こります。これは、アメリカ人がコーヒーを愛飲するきっかけとなる事件でした。当時、アメリカは、イギリスの紅茶の飲用習慣を取り入れて、紅茶を飲む習慣が生まれていました。しかし、コーヒーを貿易の商品としていたイギリスは、他国のコーヒー貿易に敗れたため、紅茶を貿易の商品に切り替えました。イギリスは輸入紅茶を独占し、価格を高騰させた上で、紅茶に重税を課しました。これに反発したアメリカ人が、ボストンに停泊していたイギリスの船舶を襲撃し、積み荷の紅茶をすべて海中に投げ捨ててしまったのです。この事件をきっかけにして、以後アメリカでは、紅茶よりもコーヒーを飲むようになっていったといわれています。

国の財政に影響を与えるコーヒー

 1777年、プロシア(現ドイツ)でコーヒー禁止令が発令されました。当時プロシアは、輸入品であるコーヒーの爆発的な人気により、通貨が海外に流出してしまうことを止めるために、フレデリック大王は、コーヒーを禁止し、ビールを飲むように奨励しました。しかし、焼け石に水だったため、1781年にはコーヒーの焙煎を王室以外では禁止してしまいます。これが起因して、王室は莫大な利益を得たということです。

日本におけるコーヒー

 1782年には、蘭学者の志筑忠雄により、大航海時代の旅行記の訳本「萬国管窺」が出されました。この書物の中にコーヒーについて書かれたところがあり、初めて日本においてコーヒーの記述をした本と言われています。

インスタントコーヒーの登場

 1800年代には、コーヒーの器具などが発明されました。1800年頃では、ドリップ式のコーヒーポットがフランスで発明され、1819年には、エスプレッソの原型と言われる、ポンプ式パーコレーターが発明されました。また、1840年頃には、イギリスでサイフォンが発明されています。そして、1899年には、インスタントコーヒーが発明されます。これは日本人化学者である、加藤サルトリ博士の発明でした。
 なお、日本においてコーヒーが商品として輸入されるようになったのは、1850年頃です。

 1900年に入ると、アメリカではインスタントコーヒーを軍用に採用し、第二次世界大戦後は、一般人にも飲まれるようになりました。

ICO設立

 1963年には、国際コーヒー機関(ICO)が設立されました。ICOは、1962年に国連で定めた国際コーヒー協定を根拠として、世界のコーヒーの生産や貿易についての協定を協議・実施する機関です。本部はロンドンにあり、日本は1964年から参加しています。
 1962年に成立した国際コーヒー協定は、コーヒーの価格安定と需給調節を目的としており、その後、1983年まで継続しました。国際コーヒー協定は、コーヒーの輸出割当制度を定めたものだったのですが、1985年にはブラジルを大干ばつが襲い、コーヒーの価格が急騰したことも影響し、輸出量割当を巡って利害対立が起こり、1989年に協定の効力が停止しました。

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